10回にも渡ってしまったこのシリーズの最後を飾る神社は、
佐太神社(さだじんじゃ)
です。
『出雲國二ノ宮』と称されるので、この地方では出雲大社の次ぐ社格を持つ神社、ということになります。
令和三年十一月、 出雲地方では「神在月」とも呼ばれるその時節に、そのような格式高い佐太神社を参拝した著者が、事前事後にこの神社について調べたことをまとめてみました。
自分用の備忘録のつもりで書いた記事ですが、 これから佐太神社を参拝される皆様の一助になれれば幸いです。
佐太神社への行き方
公共交通機関を使う場合は、
一畑バス恵曇線 恵曇連絡所行
を利用します。
一畑電車北松江線 松江しんじ湖温泉駅
から乗るより700mほど北に歩いて
内中原小学校前バス停
から乗る方が早く着きます。
上記バス停から所要35分ほどで佐太神社最寄りの
佐太神社前バス停
に着きます。
バス停を降り、東へ目を移せば100mほど先に佐太神社の正面鳥居が見えます。
帰りのバス停は、往きで降りたバス停のほぼ真向かい、ローソン駐車場の北端に在ります。
社務所について
社務所で伺うと御朱印などの受付時間は基本的に、 8時頃〜17時頃 ということでした。 しかし現在は新型ウィルス禍の具合や参拝客の多少により、様子を見て決められるそうです。
著者が伺った時間は16時頃でしたが、すでに境内のあちこちで片付けが始められていました。 参拝する時間が遅くなる場合や、社務所にご用がある場合は事前に問い合わせてからの方が確実かもしれません。
ちなみにこれが著者が頂いた佐太神社の御朱印です。
佐太神社の参拝順路
社務所脇に参拝順路が書かれていました。
佐太神社の神殿は、
- 正中殿
- 北殿
- 南殿
と三殿に分かれています。
そして、古代の斎場とされる『磐座』として祀られる、
- 母儀人基社(はぎのひともとしゃ)
更に境外摂社である、
- 田中神社 東社
- 田中神社 西社
上表を上から順に廻ると良いようです。
正中殿
三殿のうち中央に坐すのが
正中殿(せいちゅうでん)
と呼ばれるお社です。
最初にこのお社をお参りします。
佐太大神(さだのおおかみ)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
の五柱が祀られています。
筆頭の佐太大神は猿田彦命(さるたひこのみこと)と同一視されることが多いようです。
猿田彦命は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨後に諸国を廻る時に一行を先導した、と云われるたいへん知見に富む神様です。
「導きの神様」とも云われるので。何か新しいことを始める参拝すると良い方向に導いてくださるかもしれませんね。
北殿には瓊瓊杵尊が祀られていますので、正中殿で南北の神殿を導くように祀られるのが猿田彦命、というのは個人的にすごく納得できます。
北殿
正中殿に向かって右手に坐すのが、
北殿(ほくでん)
と呼ばれるお社です。
正中殿の次はこちらを参拝します。
天照大神(あまてらすおおかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
の二柱が祀られています。
瓊瓊杵尊は「天孫降臨」伝説で知られる神様で、
天照大神の御孫であられる神様です。
境外摂社の田中神社に祀られる二女神との因縁については後で紹介します。
南殿
正中殿に向かって左手に坐すのが、
南殿
と呼ばれるお社です。
北殿の次はこちらを参拝します。
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
秘説四座(ひせつよんざ)
の二柱が祀られています。
素盞嗚尊についてはこのシリーズ記事で散々語ってきたのでここでは省略します。
秘説四座の神様についてネットでいろいろ調べましたが、佐太神社の公式サイトにある御由緒にもハッキリしたことは書かれておらず、他サイトにしても諸説あって正直謎です。
著者の見解は全く見当外れかもしれず、言い切る自信もないですが、秘説四座の神様は「キツサネ」という神々のことではないか、と推察しました。
記紀などでは四座というと方位を司どる 「東西南北(キツサネ)」 を指す場合が多い(央=ヲを含めてキツヲサネとして五座の場合も多い)です。
ヲシテ文献の一つ、ホツマツタヱでも「キツ(ヲ)サネ」という名は頻出します。
ホツマツタヱではハニ(地、埴)が創造に関わった神様のうち、最高神のアメミヲヤの次に顕れた五柱として描かれています。
しかし、「古事記」「日本書紀」では「キツサネ」という言葉は方角の意味でしか使われていないようです。
ヲシテ文献の内容は記紀とは若干違えており、且つ一般的に「偽書」として扱われてきていますので、「秘説」とも呼べるものという気がします。
そういう理由でほぼ短絡的に上記の推察に至ったわけですが、まぁ著者個人の妄想として受け流していただければ幸いです笑。
キツ(ヲ)サネについての著者の見解はまた後日述べたいと思います。
南北摂社
正殿の南北脇には正殿を守るように、出雲大社の十九社を小さくしたような佇まいの摂社が坐しています。
こちらも神在祭の時期に八百万の神々が滞在するお宿のようなお社です。
北摂社
南摂社
母儀人基社(はぎのひともとしゃ)
南摂社の更に奥にある道を歩いていくと、
母儀人基社(はぎのひともとしゃ)
と呼ばれる磐座が在ります。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
が祀られています。
元々は伊弉冉尊の陵墓である比婆山から中世以降に遷された、と伝えられているようです。
子宝・安産にご利益があるとして、女性の参拝者が後を絶たないパワースポットとなっています。
摂社 田中神社
正面鳥居を出てすぐ左手に在るのが『田中神社』です。 佐太神社を参拝後にこちらもお参りしましょう。
田中神社は、
東社
西社
の東西社に別れています。
東社と西社が背中合わせに建てられているのが興味深いです。
東社には姉神様の、
磐長姫命(いわながひめのみこと)、
西社には妹神様の、
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
の姉妹神がそれぞれ祀られています。
姉神様の磐長姫命を先にお参りしないと嫉妬されるとの噂もあります。
神話などでは、大山祇神より自らの二人の娘を娶るよう告げられた瓊瓊杵尊ですが、容姿を見て磐長姫命だけ送り返してしまいます(そのせいで後継の神々の寿命が短くなった、という顛末)。
そのような理由で仲が悪くなったことで知られる姉妹神様(個人的には瓊瓊杵尊の磐長姫命への仕打ちが酷かったせいじゃ・・と思うのですが)なのでそのように背中合わせで建てられているのでしょうか。
伝えられるご利益も対照的で面白いです。
誰かと「縁切り」したい場合は東社で、
誰かと「縁結び」したい場合は西社で、
願掛けすると叶うと云われています。
実は著者、佐太神社の神職さんと話し込んでしまったことで、帰りのバスに乗り込んだ瞬間に思い出すまで、この『田中神社』を参拝することをすっかり失念してしまいました・・・
すぐに降りて戻ろうかとも思いましたが、一日中歩き回ったせいで気力が尽きかけていたので、次の機会に譲ることにしました(まぁ縁を切りしたい人も結びたい人も特にいないのですが・・)。
出雲國二ノ宮としての佐太神社
現在は出雲地方ではかの出雲大社(杵築大社)に次ぐ社格の神社です。
一時期は出雲大社を凌ぐほどの信者数と勢力があったようです。
中世以降は出雲大社、熊野大社と共に『出雲國三大社』とも呼ばれています。
最古式で執り行われる『神在祭』
出雲大社をはじめ大社にゆかりある出雲地方の神社では、毎年旧暦(太陰暦)の十月十一日から2週間ほどかけて 『神在祭』 と呼ばれるお祭りが執り行われます。
お祭りの期間中は各地から八百万とも云われる神々が出雲の地に集結し、翌年の諸事について話し合われる、と伝えられています。
神々の大事な会合の妨げにならないよう、かつて出雲の人々はお祭りの期間中は歌を歌ったり騒いだりしないよう自粛していたそうです。 そのため地元では『神在祭』を 「お忌(いみ)さん」 と呼ぶのだそうです。
『神在祭』が執り行われる神社の一つである佐太神社ですが、 「文献上『神在祭』が執り行われた最も古い記録を持つ神社」、 として知られています。
祭りの次第(進行スケジュール)も500年以上前から変わらず続く最も古い形式で現代まで継承されています。
ユネスコ無形文化財に登録されている能
九月の『御蓙替祭』で舞われる 『佐陀神能』 は、ユネスコの無形文化財(ユネスコ「無形文化遺産の保護に関する条約」代表一覧表への記載)として登録されています。
『佐陀神能』は『能』と『七座神事の舞』によって構成されています。
『能』はもともと「猿楽」と呼ばれたモノマネなどで観客を笑わせる演劇から発展しており、その原型が色濃く残っている点で、芸能史の観点から高く評価されています。
まとめ(感想)
最後にまとめとして佐太神社を参拝した感想などをつらつらと。
今回の出雲紀行の最後に参拝することになった佐太神社。
旅の2日目で、かつ一日中歩き回り、歩行距離は20kmを超えていたため疲労困憊で訪れました。
その疲労のせいで田中神社の参拝をうっかり忘れるなど、やらかしがちなお参りになってしまいましたが、
夕月がとても綺麗でしたし、神職の方にも興味深いお話を伺えたので、頑張って行って良かったと思います。
たくさんある心残りは「また来なさい」と佐太の神様に言われてるんだと都合よく解釈し、再訪を誓っている次第です。
今回の記事をまとめると、
- 佐太神社は『出雲國二ノ宮』であり『出雲國三大社』とも呼ばれる出雲地方の重要な神社
- 参拝は以下の順路で
- 正中殿
- 北殿
- 南殿
- 母儀人基社
- 田中神社
- 田中神社は「縁結び」と「縁切り」の両方にご利益がある神社
- 佐太神社の神在祭は最古式の次第で執り行われる
- 佐太神社の『御蓙替祭』で舞われる『佐陀神能』はユネスコの無形文化遺産に登録されている芸能
ということで今シリーズの
『令和三年、神在月の出雲紀行』
も締めたいと思います。
また機会があれば是非行きたい神在月の出雲参拝。
そのときにまたご報告したいと思ってますのでお付き合いください。
今回の一連の記事が、これから出雲を旅する皆様の一助になれば幸いです。