ホツマツタヱとは
ホツマツタヱとは『 ヲシテ文献 』と呼ばれるものの中のひとつです。
そしてそのヲシテ文献とは、
全文を『 ヲシテ文字 』と呼ばれる特殊な文字で書かれた、
草創期の日本を描く歴史絵巻、
です。
四十の”綾”と呼ばれる、章節のような構成から成っており、
この国(世界)を造ったとされるアメノミナカヌシから、
十二代スベラギ、ヤマトヲシロワケ(景行天皇)の御代までが記されています。
その壮大な物語すべてが五七調(稀に五六調)による長歌で綴られています。
ヲシテ文字という未知の丸っこい文字が上下キレイに五七で並んでいる様はとても美しく、アートとしてただ眺めているだけでも楽しめます。
文献の記述を信じれば、
記紀( 古事記 、 日本書紀 、および各地の風土記)よりかなり前の時代に編纂されていることになります。
故に内容も記紀の記述を史実として裏付けするような、もしくは覆すような話が記述されており、縁の神社を廻ってもその物語に準じられた神様が祀られていることが多いです。
登場する人々(神々)が生き生きと描かれており、ブログ主の個人的感想ではありますが、記紀よりかなり描写が生々しくリアリティをもった内容です。
人々を心服させるつもりの神話を綴っているのだとしたら、
「もっと包み隠せよ」
とツッコミたくなるほど赤裸々に描写しています。
故に情景が頭に浮かびやすくて面白いです。
ヲシテ文字を判読できるようになれば、記紀より読みやすく理解しやすいかもしれません。
しかし残念ながら、ホツマツタヱをはじめとしたヲシテ文献は、
『 偽書 』
として一般的に認知されています。
『偽書』としてのヲシテ文献
歴史学会、考古学会をはじめ、日本のあらゆる学会が、ヲシテ文献を『偽書』として扱っています。
ヲシテ文献を本気で研究しようとすると、研究予算が降りなかったり、協力者が得られなかったりで、学会内で身動きが取れなくなくってしまう、という事態になりやすいらしく、本腰入れて研究しようとする学者が現れないのだとか。
現代の学会だけでなく、ホツマツタヱの写本が世に現れた江戸時代中期あたりから既に当時の国学研究者らによって公然と、決然と偽書扱いされていました(むしろ海外の方が研究者が多く、解読も進んでいると漏れ聞きます)。
故に、一般的にもヲシテ文献は『偽書』だという認識になっています。
ヲシテ文字に関しても、江戸時代頃に創作された文字だろう、という見解が大勢を占めています。
そのように断定される根拠も数々あります。
- 日本の古代遺跡から文字を記された遺物自体が未だ見つかっていない点
- 江戸時代に国学が隆盛した折、”神代文字”とされるオリジナル文字を創作するブームも起きていて、ヲシテ文献の存在もそれ以前の確認がされていない点
- 神代文字創作ブーム以前のものと断定できるヲシテ文字による資料が未だ一点も発見されていない点
- 編纂者の一人とされるオオタタネコ尊が、彼の没後の時代と思われることまで記述している点
- 馬術に関する表記があるが、その時代の日本列島に馬がいた痕跡がみつからない点
などなど、時代背景や考古学資料に照らし合わせると、ツッコミどころがたくさんみつかってしまいます。
古筆学者の故小松茂美氏などによって文法や仮名遣いへの時代的矛盾も指摘されています。
よって贔屓目に見てもヲシテ文献及びヲシテ文字は、
「中世に創作された文献及び文字である可能性が非常に高い」
と言わざるを得ない現状です。
記紀では女神として描かれる天照大御神が男神として描かれていたり、記紀では存在がほのめかされているだけの瀬織津姫が、かなり重要な人物として描かれていたり、と記紀の根幹部分を揺るがせてしまうような描写なども、世間一般的に受け入れ難い点かもしれません。
ブログ主が思うホツマツタヱ
では私”きわぼっち”ことここのブログ主は、ホツマツタヱの真贋についてどう思っているのかと言いますと、
うーーーん・・どっちでもいいかな
です。
ここまでつらつらと書いておいてなんだそれ!
とお怒りの方もいるやもしれませんが、
自己弁護というか「どっちでもいい」理由は以下に挙げます。
理由1:どっちにしても内容が面白い
ヲシテ文献が偽書であろうとなかろうと、面白く興味深い内容であることに変わり有りません。
たとえ江戸時代くらいの人の完全な創作だったとしたら、
このような完成度の高い創作物を遺してくれたことに、
むしろ深く敬意を表したいです。
あくまでも個人的な意見ですが、各地の神社と登場人物との関連性や、
記紀でうやむやにされてる部分がスッキリするような箇所がある点などを見ると、
完全に虚偽を記述しているとは、とても信じられないです。
一部の時代的矛盾点を除けばある程度信用に足る内容なのではないか、と考えています。
ヲシテ文字に関しては江戸時代の創作である可能性が高いとブログ主も思うのですが、これも個人的感想ですが、
説得力のある構造、かつグラフィックデザイン的に美しい
これだけで価値ある創作物なんじゃないか、と思います。
理由2:そもそも、「『偽書』って何?」という点
極端な喩えですが、たとえば司馬遼太郎さんの作品は名作揃いですが、史実と照らし合わせれば誤っている部分も多々あります。
しかし、彼の作品が『偽書』と呼ばれることはありません。
ヤングジャンプに連載中の人気漫画『キングダム』が、「史実とちがう!」と偽書呼ばわりされることも、おそらくないでしょう。
三国時代の正史として認知されている『魏志』がありますが、(特に日本の)中華思想のかなり濃い、編纂された時代に阿った偏向した内容であることは前提とされています。
しかし、『魏志』は「偽書」とは呼ばれないわけです。
他の国や宗教が掲げる神話や史書なども同様です。
しかしヲシテ文献だけは、感情的とも思えるほど頑なに「偽書」扱いされています。
ブログ主自身、陰謀論は好みませんが、その辺に何か深い闇が隠されているように勘ぐってしまいます。
そういう不遇さも、ヲシテ文献やヲシテ文字がごく一部の人から根強く愛読されている理由なのかもしれません。
少なくともブログ主が執着する理由はそういう感情的な部分が多くを占めていると自己分析しています。
まとめ
乱暴にまとめますが、ホツマツタヱは、
美しく、面白い
以上の理由で、ブログ主は今後もホツマツタヱをはじめとしたヲシテ文献を楽しんでいきたいと思っています。
ブログ主はどハマりすぎて、ヲシテ文字、読み書きできるようになっちゃいましたからね(笑)
真面目に史学を研究されている方には鼻持ちならないことも今後書き連ねるかも知れませんが、
笑ってご容赦いただければ幸いです。