ホツマツタヱ 上奏 『ホツマツタヱを宣ふ』考察1

ホツマツタヱ(ヲシテ文字) ホツマツタヱ考察
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ホツマツタヱに出会って3年強。

いろいろと遠回りした挙句、
「やはりホツマツタヱは冒頭から読み下していくのが一番理解が早いだろう」
という結論に至りました。

病気を患い、いつ死ぬかもわからん身体になってしまったのに焦って、読書法的なものや時系列などの思考整理法を試して理解を早めようとしましたが、至る箇所で浅い知識が足を引っ張るようになってきました。
やはり「急がば回れ」なのだな、と痛感しています。

そんなこんなでここのブログ主の気の向くままに、
ホツマツタヱを冒頭から少しずつ考察していく、
という、かなり無謀かもしれないことを始めました。

なお、他の方の考察や出版物なども参考にしつつ、基本独自の解釈と言葉で書き進めていく予定です。

よって妄想的な見解も恥じらいなく入れていく所存です。

ご納得いかない箇所や、この著者阿呆かという記述にぶつかることも多々あるかと思われますが、優しくスルーして頂けたり、ツッコミを入れたりしつつ見守ってくだされば幸いです。

上奏(序文) ほつまつたゑをのふ 一〜四行目を考察する

まずはホツマツタヱの序文である、

ほつまつたゑおのふ

ホツマツタヱを宣ぶ

から読み砕いていきたいと思います。

大まかに言うとこの序文には、

  • どういう経緯で今(編纂当時)の時代に至ったか
  • 誰がどういう理由でホツマツタヱを編纂するに至ったか
  • 編者の一人であるオオタタネコの自己紹介文

が書かれています。

今回はその序文冒頭の四行を著者なりに考察してみたいと思います。

冒頭四行は以下のように書かれています。

あめつちの
ひらけしときに
ふたかみの
とほこにおさむ

『アメツチ(天地)の平けし時に 二尊の瓊矛に治む』

「あめつち」とは何か

それでは早速、

あめつちの ひらけしときに

から考察を始めたいと思います。

最初に出てくる「アメツチ」とは何でしょうか。

多くのホツマ解説「天地」という漢字が充てられており、著者も「天地」という意味なのだろうと考えます。

天地」は「宇宙全体」と同義のように扱われる、と解説されることも多いです。

次の「ひらけし」には「平けし」という漢字が充てられます。

「天地の開けしとき」

となるので現代人の知識と思考で解釈すると、冒頭二行は、

「宇宙開闢のとき」

とも読み取れます。

なので初めて読んだ方は、
「古代の日本人はビッグバンを知っていた!?」
のように驚かれる人も多いかと思います(著者もそうです)し、その解釈も大いにアリだと思います。

古事記日本書紀にも似たような文が書の冒頭部分に書かれています。

古事記では序文を飛ばして本文に入るといきなり、
「天地初発之時(天地初めて発(おこ)りし時)」
で始まりますし日本書紀でも冒頭に天地創生の話が綴られています。

共通するのは、
まず宇宙(大自然)が在り、そこに神が生まれた、
とするのが日本の神話における概念です。

それは、
最初に神が在った、
とする聖書など他の宗教経典と大きく違う概念です。

そのある種独特の日本神道の思想観念を鑑みると、古代の日本人が宇宙の始まりにビッグバンのような事象が起きた可能性に感覚的に至ったとしても不思議はないようにも思います。

しかしその解釈をこの箇所ですると、直後の言葉に対し最初の言葉が宙に浮く感じになってしまいます。
そのように壮大な「宇宙」基準のお話の直後でいきなり「人間(もしくはカミ)」基準の『統治』の話に行くのは余りに行間に話を詰めすぎな気がします。

そもそもホツマツタヱ自体が、記紀などと較べてより現実的な「人間(もしくはカミ)」基準の目線で描かれています。
ホツマツタヱを読んでみると、神話というより起きた出来事を淡々と綴っているように感じるのです。

前置きが長くなりましたが、そのような理由で、
「人間(もしくはカミ)」基準の解釈
だとどうなるか、も検証してみることにします。

その場合、

あめつちのひらけしとき

は、
かつてアメツチという国なり民族なりが(広義の)世界を二分して争っており、
その二者が争いを止め平けた(平和になった)、
という解釈も成り立つと思います。

その後のホツマの記述を読み進めると、

アメ = 陽、開く、天上
ツチ = 陰、閉じる、地上

のように表現されます。
どうしてもアメを上位に置いている感が否めません。

なので争いはアメ側が優勢のうちに終わったのかも知れませんね。

とりあえず、ここのブログ主はこちらの
「人間(もしくはカミ)」基準の解釈
で考察を進めていきたいと思います(壁にぶつかったらまた戻りたいと思います)。

「ふたかみ」とは誰か

上記の「人間(もしくはカミ)」的解釈を織り込んだ上で直後の言葉、

ふたかみのとほこにおさむ

に戻ります。

それまではアメ、ツチそれぞれの国(民族)で独り神(皇もしくは王)が君臨していたが、争わぬようアメ側とツチ側による政略結婚が行われたのではないでしょうか。

著者の考えでは、
アメ側は男王
ツチ側は女王
をそれぞれ代々立てていたのではないか、と推測しています。
というのも、ホツマではアメ(陽)を男性、ツチ(陰)を女性、とする記述がよく見られるからです。

そしてお互いの王による政略結婚が為された。
少なくとも男女王の協議による合同統治が行われるようになった、
と読み取れます。

男女二尊で治めるようになったその最初の神が、
ウビチニとスヒチ
だと思われます。
この二尊は夫婦になると記されているので、やはり政略結婚があったのでしょう。

この二尊はホツマの中で”モモヒナキ“と”モモヒナミ“という名でも呼ばれています。
その御名の最後の文字の”“と”“が、
キミ(君)
の語源になった、ということも後述されています。
つまり『君』は男女尊を指す言葉ということのようです。

ウビチニとスヒチについての詳細は、考察が二尊の登場する場面まで進んだ時に改めて述べたいと思います。

「とほこ」とは何か

続いて、

とほこにおさむ

の”とほこ“について考察してみます。

漢字では”瓊矛“という字が充てられます。

ト(瓊) = ト(調)の教え、調和、秩序、法、珠(勾玉か?)
ホコ(矛) = 武力、滅する力、武器である矛

ホツマでは上記のような意味で使われています。

によって民の秩序を保ち、秩序が乱れてきたらホコの力で抑える。

要するに”法律“と”武力“を以て治める、という意味のことが書かれています。

二尊の瓊矛に治める
と書かれているわけですので、 二尊、つまり両陣営の話し合いでどちらか一方に都合の良い統治にならないように法律を創り、武力のバランスも偏らないよう双方協力して治安にあたったのだろうと推察できます。

まとめ

今回はここまでです。

今回の考察をまとめると、

  • (争っていた)天地が開け(平和になっ)た
  • 単独の尊(王?)ではなく二尊で天地を統治するようになった
  • 瓊(法律)と矛(武力)で、公正な統治が始まった

というのがブログ主なりの最初の四行の考察です。

それにしても序章冒頭のたった4行の考察だけで結構な量の文章になりました・・・

しかも、知識不足によりまだまだ考察の足らない部分が多々あると思われるので、今後も加筆や修正が為されることと思われます。

事実、投稿する前に読み返しただけでも大幅な加筆や修正を余儀なくされました。
いつまで経っても記事をアップできないのでブログというものの長所である、
「後でいつでも修正できる」
に頼って、えいやっ、で投稿することに決めました。

この調子で四十綾先まで・・・
と考えると気が遠くなりそうで笑えてきますが、心の底にワクワクする感情もあります。

こんな感じで自分なりに丁寧に読み解いていこうと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。

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