上奏『ホツマツタヱを宣ふ』全文訳

ホツマツタヱ(ヲシテ文字) ホツマツタヱ考察
ホツマツタヱロゴ
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新年、明ましておめでとうございます。

きわぼっち“、と申します。

今年もよろしくお願い申し上げます。

前回までのホツマ考察

令和も無事五年目を迎えました。

このブログでは”ホツマツタヱ“の考察などしております。
公には『偽書』などというレッテルを貼られる不憫な史記
「そんなん知らんがな」
な精神で、細々と続けております。

ちょっと身辺がいろいろ忙しくて中断していましたが、新年になり決意も新たに考察を再開することにしました。

前回まで、ホツマツタヱの冒頭から少しずつ考察していきました。

しかし、ぶつ切れ感が酷く、読者の皆様にはもちろん書いてる著者自身も前後の文を見失ってしまう、というよくわからない感じになって迷走していました。

その辺りを反省しつつ、とりあえず綾(章)全文を自分なりに現代人が読みやすい形にして、綾ごとに掲載していくことにしました。

可能限り原文の読みに近い形で現代語風に書き換えたり注釈を付けたりしています。

その全文から考察記事に飛べるようにしましたので、これまでよりはお話の流れを見失いにくくなってると思います。

解釈がおかしい点や、使いにくい点などありましたらTwitterなどでご教示いただければ尚ありがたいです。
Twitter @kiwabochi

このように試行錯誤しながら、皆様に『ホツマツタヱ』を伝えていければ、と思っておりますので今後ともよろしくお願い申し上げます。

今回は、”上奏“と呼ばれる綾である、

ホツマツタヱを宣ふ

を著者なりの現代語訳にてご覧いただきます。

※リンク先が考察記事です。リンクがない箇所はまだ執筆中です。

上奏:ホツマツタヱを宣ふ

ホツマツタヱを宣ふ。

(長きに渡って相争った)”アメ(天)”(と)”ツチ(地)”の平けしときに(始まる)。
(和合の証にアメよりヲ尊、ツチよりメ尊を選り番わせて)”フタカミ(二尊)”のトホコ(瓊矛。法と力)に(より世を)治む。
→考察記事

民(が次第に)増して(瓊矛のみでは治めるのが難くなったため)、アマテル尊は”ミカガミ(身明暗見もしくは身陽陰見)を足して”三種の御宝”を授く御孫のトミ(臣)、タミ(民)も、身、安ければ(安らげるようになり)弥(”万歳”のような意味)。
→考察記事

臣(ヲヲタタネコ)が祖(であるオミケヌシは、かつて皇を)強いる諌めの(咎により)畏れ身に(なった)。

(それ故、我が一族は)隠れ住み逝く末つ身(滅びゆく定めであったところ)を、今、(再び宮に)召さるれば、その恵み(感謝を)「天の帰りのモフテモノ(詣物。返礼の品のこと)」(として)ホツマツタヱの四十綾を編み奉り(ました)。

君(皇)が代の末(まで)のためし(例。手本のこと)と成らんかと、畏れ見ながら窄め置く。
→考察記事3

これを見ん人はシワカミ(地上)の(心のままである)。

(読みて)心、ホツマ(秀真。調和の極みのこと)と成るときは、花咲く御代の春やきぬらん。
→考察記事4

礒のワ(埴)の
真砂は読みて
尽くるとも
ホツマの道は
幾代尽きせじ

ミワ(三輪)の臣ヲヲタタネコが捧げんと、二百三十四年、謹みて押す。
→考察記事5

まとめ

今回は、

ホツマツタヱ 上奏 ほつまつたえをのふ

の全文を、可能な限り原文の読みに近くなるように現代人にも読みやすいように書き起こしてみました。

これを起点にして考察記事もつないでいこうと思っています。

この”上奏“には、編者の一人であるオオタタネコがどのような経緯でホツマツタヱを編むに至ったか、が書かれています。

ここを読む限り、「ホツマツタヱ」は、彼の一族が陥った境遇に対する理不尽さと、「」を説き、守ることの大切さと大変さを説こうとした文(ふみ)なのではないか、と推し量ることができます。

最初にこの上奏を読ませるあたり、きっとそうなのでしょう。

現代の日本でも「」が忘れ去られ、あまつさえ日本人自身が日本の「道」を否定したがっているようにも見えてしまいます。

ホツマツタヱ」は、その書の歴史的価値や真贋についてを差し置いても、この国の「」について深く理解できる書物です。

異国の方と議論するときいつも強く感じますが、
自らの国や民族を軽視する人の意見は、それこそ露骨に軽視されます

現代の日本人が世界で発言権を失っていっているのは、
この辺に原因があるのでは、
と個人的には危惧しています。

ぜひ一度、著者と一緒に「」を知り、探ってみませんか?

軽んじるかどうするかは「」を知ってからでいい。

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