いよいよ今回の旅の主目的地である
出雲大社 について、旅行前に調べたことや現地レポートを、書き綴っていこうと思います。
書きたいことがありすぎるので、今記事では
”一般的な参拝順路”
を中心に現地レポートを交えてまとめていきます。
一般的な参拝順路
旅行前に出雲参拝での参拝順路を調べたのですが諸説あってよくわからなかったので、
東京港区六本木に在る『出雲大社 東京分祠』 の神職さんに伺ったルートを紹介します。
伊勢神宮の「外宮 → 内宮」ように厳格に決められた参拝順路はない、 とのことだったので、参考ルートとして気楽にご覧ください。
1. 稲佐の浜
出雲に着いたら先ずこの浜を訪れることをお勧めします。
そして、両掌でひと掬いほどのこの浜の『お砂』を持参して、
出雲大社に向かいます。
このお砂は、大社の境内摂社である『素鵞社』にて、
祓い清められ、目の前の八雲山からの霊力を授かったとされる、
『清めの御砂』と交換できます。
お砂を入れる容器はなんでも良いのですが、
レジ袋などは鞄などに入れて持ち運ぶときに、
お砂が漏れて大惨事のなることが多いとの報告を、
ネット上で散見しますのでお勧めしません。
ここのブログ主は、写真のような100均で購入したミニタッパー
に入れていきました。
いい感じに密閉してくれますし、
お砂もそのまま掬えますのでかなりお勧めです。
2. 上宮(かみのみや)
神在祭の期間中は、この『上宮』にて、
出雲に集った八百万の神々は、
「神諮り」
と呼ばれる会合を連日開き、、翌年の諸事を決めるそうです。
なので神在祭の期間中にこのお宮を参拝する際は、
会合のお邪魔にならないよう、より一層礼儀正しく、
静かに参拝した方が良いのだそうです。
上宮から少し西に歩いた場所に、 『下の宮』 と呼ばれる、伊勢神宮の遥拝所があるので、
天照大神にもご挨拶しておきましょう。
3. 宇迦橋(うかばし)の大鳥居
堀川に架かる宇迦橋を北に渡り終えた所に、
『宇迦橋の大鳥居』
が聳え立っています。
巨大すぎて車で通る時は気づかずスルーしてしまいますが、
出雲大社の玄関と言える鳥居です。
因みに、この大鳥居が建てられたのは大正四年と、割りと最近の話。
宇迦橋から『勢溜の鳥居』までの通りも参拝者の溢れる場所にしようと、
当時の実業家、小林徳一郎氏により寄進されました。
歴史が浅い、という理由で、
「正式な“壱の鳥居”は『勢溜の鳥居』」
とする向きもあるようで、信心深い人でもバスなどの車でくぐる際に軽く会釈する程度で済ませることが多いようです。
ブログ主は念のため、稲佐の浜からこの大鳥居まで戻って、改めて一礼し、くぐり直しました。
3. 勢溜(せいだまり)の鳥居
江戸時代、この鳥居の周辺に広場や芝居小屋が設けられ、
人々が「勢いよく溜まっている」ので、
『勢溜の鳥居』という名が付けられたそうです。
この場所で様々な「ご縁」が結ばれたのだろうな、
と想像するに、実に「縁結びの神様」たる、
出雲大社を象徴するような場所ですね。
かつてはこの鳥居の目の前まで稲佐の砂浜が広がっていたそうです。 砂塵を防ぐために堤を築いたので、
この『勢溜の鳥居』から松の参道の入口となる『中の鳥居』まで
下り坂が続くのだそうです。
4. 祓社(はらいのやしろ)
古代は、堀川に入水して禊をしてから橋を渡り、 鳥居を潜っていたそうです。 かなり難易度高いですね。
中世以降は、参拝客が増えたため、 簡略化するためにこのお社が建立されました。
ですので、勢溜の鳥居を潜ったら先ず、 右手に見えてくるこのお社を目指しましょう。
なお、出雲大社での参拝作法は、
「二拝”四拍手“一拝」
が推奨されています。
「出雲大社では四拍手」の理由
因みに、通常の神社では「お祈りの作法」として、
「二拝二拍手一拝」
が推奨されていますが、出雲大社では、
「二拝四拍手一拝」
が推奨されています。
諸説ある理由として有力なものの中で、 ブログ主が一番納得したのは以下です。
出雲大社における最重要な祭祀は、毎年五月十四日に執り行われる 『勅祭(ちょくさいj)』と呼ばれる、 天皇陛下からの勅使による祭祀です。
その際、柏手は『八拍子』打たれます。
八拍子を最上とする出雲の神様にしてみれば、 二拍子では物足りず、 八拍子では「『勅祭』が始まった」とびっくりしてしまう。
よって、通常の参拝では真ん中を採って「四拍子」とする。
どうでしょう。 上記の説、かなり納得いきませんか?
5. 中鳥居(なかのとりい)
出雲大社公式サイトの境内図では、
この『中鳥居』からが境内、とされています。
いよいよ出雲大社の神域中の神域に足を踏み入れるので、
少し気が引き締まりました。
6. 手水舎(ちょうずや)
出雲大社に限らず、手水舎で手と口を濯ぐことは省かないようにしましょう。
神様は穢れを嫌うので、これを怠ると嫌われてしまいます。
作法は、以下の手順が各神社で推奨されています。 備え付けの柄杓に水を注ぐ その水で先ず右手を洗う 持ち替えて左手を洗う そのまま左手に水を溜めて少量口に含む * 他の人も使うので、柄杓から直に飲むのは絶対やめてください 水溜めの脇の小石場に水を静かに吐き出す 使った柄杓の柄を水で清めて元の場所に戻す * 最近では新型コロナ対策で手水を省略するよう求めている神社が多いので、各神社の告知などをご確認の上、手水を行ってください * 手水舎の水瓶に水を溜めず、掛け流し式やセンサー式にしてる神社が増えました
7. 銅鳥居(どうのとりい)
手水舎の本殿に向かって右手、神域を囲う荒垣の正門に建つのが、 『銅鳥居(どうのとりい)』 と呼ばれる第四の鳥居です。
寛文六年(1666年)に毛利綱広さんが寄進したそうですので、350年以上もの歴史があります。
ここをくぐるといよいよ『神域』と呼ばれる境内に足を踏み入れることになります。
8. 拝殿
この拝殿で、“出雲参拝”に来たことを神に報告します。
祭事や御祈祷はこの拝殿にて執り行われます。
現在の拝殿は1963年とかなり最近に建てられました。
大社造と切妻造を折衷した様式だそうで、かつ、戦後に建てられた最大級の木造建築とも言われています。
9. 御本殿と八足門(やつあしもん)
拝殿を更に奥に進むと、
『八足門』
と呼ばれる門が見えてきます。
その八足門越しに見えるのが、出雲大社の
『御本殿』です。
大国主命が祀られている、と云われています。
全長が24mもあり、神社の社殿としては最大のものなるとのこと。
一般の参拝者は、残念ながら八足門より先には進めません。 ですので、八足門の拝礼所からが、
最も近くで出雲の主祭神様を拝礼できる場所、
ということになります。
八足門前の印の意味
八足門の手前に、
写真のような赤い印がいくつか描かれています。
近代の発掘調査で、古代の出雲大社の本殿は天高く聳える巨大な木造建築であったことが解ってきています。
その巨大建築を支えた柱の跡が見つかったためです。
この印は、発掘調査により見つかった巨大な柱跡の場所を示しています。
この柱跡から推測される建物の高さは少なく見積もっても45m以上。 現代の神社建築としても最大の高さと言われる出雲大社御本殿の更に2倍程度になります。
この発見により、『出雲國風土記』などの古代文献の記述に信憑性が増し、 「日本にはかなり高度な古代文明があったのでは」 という研究が世界中でなされるようになったのだとか。
地道な発掘作業による考古学的大発見のお陰で、 「歴史」が書き換えられ、 真実により近いことを知れるようになるのは、 歴史ファンとしてはすごく嬉しいことですね。
10. 東十九社
八足門からは御神域を「反時計回り」に廻っていきます。
八足門を右手に進むと正面に見えてくるのが、 『東十九社』 です。 名称から分かる通り東西に在ります。
『十九社』とは、地上(人間界)に喩えると、
神々の”お宿” に当たります。
旧暦十月に毎年執り行われる『神在祭』前記事参照の期間中、八百万の神々は出雲に集まり、
「神諮り」と呼ばれる、翌年の諸事を決める会合を開きます。
その『神在祭』の期間中に神々が宿にしているのが、
この東西の『十九社』なのだそうです。
神々がお休みになられてる社なので、静粛を保って参拝しましょう。
11. 釜社(かまのやしろ)
東十九社の左隣に在ります。
『宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)』 という、”食”に纏わる全てを司どると云われる神様が祀られています。
“食”に困ることのないようにしっかりお祈りしておきましょう。
12. 素鵞社(そがのやしろ)
『素戔嗚尊』が祀られています。
八雲山の眼前に社が在るため、 この素鵞社が出雲大社の原社ではないか、 との説もあるようです。
社全体が常に八雲山の霊力に晒されているせいか、
ことのほか神々しく見えます。
「浄めのお砂」をいただく手順
素鵞社の「浄めのお砂」をいただく手順については、
前記事 の『素鵞社のお砂について』をご参照ください。
振り向けば御本殿の後ろ姿と『因幡の白兎』
素鵞社の参拝を終え、鳥居で一拝して振り向くと、
御本殿の後ろ姿とたくさんの『因幡の白兎』像が見えます。
めっちゃかわいいです。
13. 御神座拝礼所
御本殿で西向きに坐すと云われる大国主命に、先程お参りした八足門の拝礼所よりも近い場所から参拝できる拝礼所です。 大国主命が西向きに鎮座するのは、 「西にある稲佐の浜から神在月にいらっしゃる八百万の神々を出迎えるため」 との説もあります。
ここで改めて、出雲大社の主祭神・大国主命を拝礼しておきましょう。
14. 氏社(うじのやしろ)
前節の『御神座拝礼所』で拝礼を終えて振り向くと、 『氏社』 と呼ばれる、双子のように並んで佇むお社が見えます。
北・南、どちらも重要文化財にしてされています。
北社には、天照大神の第二子で、最初の出雲国造(いずもくにのみやつこ)である、
『天穂日命(あめのほひのみこと)』
が祀られています。
南社には、出雲臣という姓(かばね)の祖である、
『宮向宿禰(みやむきのすくね)』
が祀られています。
14. 西十九社
西側の十九社です。
東側同様、神々が休まれているので静かに参拝しましょう。
14. 神楽殿(かぐらでん)
西十九社を拝殿側に進んでいくと、荒垣沿いに通路が見えてきます。
そこを向かって右手側、西方向に少し歩くと、有名な
『神楽殿』
の大注連縄が見えてきます。
『神楽殿』では御祈祷や結婚式が行われるなど、出雲大社の施設の中では一般の参拝者が利用することの多い社殿です。
元々は出雲国造の祖で、出雲大社宮司家である千家が広間として利用していた建物を、明治に設立された出雲大社教という教団が神殿として使用するようになりました。
現在の社殿は、昭和56年と割りの最近になって建て替えられたものです。
大注連縄について
いまや出雲大社の象徴とも言える神楽殿の大注連縄。
全長およそ13mで重量は5.2㌧という規格外の大きさです。
現在は島根県飯南町の『飯南町注連縄企業組合』が管理と運営を行なっているそうです。
地元産の稲藁のみを使って手作りで製作されているそうなので、今の時代そういう伝統残していくの大変だろうな、と応援したくなる気持ちが湧き上がってきますね。
昭和56年の神楽殿建て替え以降、直近に製作されたものが 平成30年の大注連縄 らしく、それが七代目とのことなので、5〜6年に一度のペースで交換されているようです。
夜神楽 特別祈祷について
『神在祭』の期間中、この神楽殿にて連日
「夜神楽 特別祈祷」
が執り行われ、参拝者なら誰でもご祈祷を受けることができます。
希望者は当日、神楽殿の正面左手にある社務所受付(御朱印もここです)で参加を申し込むことができます。
詳細はこのブログの以前の記事でも書いたので『こちら』を読んでみてください。
まとめ
長くなりましたが、以上がブログ主が出雲旅行前に事前に調べた
『出雲大社』に纏わることのほぼすべてです。
何も知らずに行った場合、後で後悔しそうなことだらけだったので、調べといて良かった、と心から思います。
今回の記事を以下にまとめます。
- 神在祭期間中は『神議り』のお邪魔にならないよう静かに参拝する
- 出雲大社では『二礼四拍手一拝』
- 厳密な参拝順路はないようだが、『稲佐の浜』には先に行くほうが良い
- 素鵞社で稲佐の浜で頂いてきたお砂を交換する
- 神域に入ったら基本右回り
- 『夜神楽 特別祈祷』は参拝者なら誰でも参加できる
- うさぎ像かわいい
自分への備忘録のつもりで纏めましたが、
この記事が、これから出雲を旅する皆様のお役に立てれば幸いです。
どうぞ、良い旅を!